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衛藤賢史のシネマ教室

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

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   2016/08/30

アメリカ映画史に興味を持つ人以外にあまり知られていない、1940~50年代アメリカを席巻した反共主義(日本では<赤狩り>と称された)の渦に巻き込まれ、投獄された<ハリウッド10(テン)>事件の中心人物である脚本家ダルトン・トランボの勇気と信念を描いた作品である。この事件はハリウッドの恥部ともなり映画業界では長い間臭いものには蓋という状態だったが、1973年『追憶(THE WAY WE WERE)』(監・シドニー・ポラック/出・バーバラ・ストライサンド/ロバート・レッドフォード)で、ハリウッドの混乱状態がはじめて紹介された。
二次大戦後、アメリカとソ連の対立が激化した時期、アメリカ中に反共主義というイズムの嵐が起こった。その理不尽極まる言語弾圧は映画界にも及び、社会主義的思想を持つトランボは他の9人と共に非米活動調査委員会の聴問会に召喚され、証言を拒否したため、議会侮辱罪に問われ有罪となり投獄されてしまう。同時に出獄してからもその職業からも永久追放という過酷な責めを負ってしまった。世間や映画業界からの冷たい目の中、トランボは屈せず偽名で脚本を書き続ける。トランボ追放の急先鋒である女性コラムニストのヘッダ・ポッパーなどの妨害を物とせずに他の追放仲間たちにも仕事を取り妻や子供たちの愛情ある加勢で、三流映画であろうと仕事を与えてくれる会社の脚本を自宅で1日18時間を費やし書くトランボだったが、ゴースト・ライターの仕事に次第に心が疲れてくるのだった。そんな中でわずかな誇りは「ローマの休日」と、三流会社に持ち込んだ「黒い牡牛」がアカデミー賞を授与した事だったが、自分の本名を出せない辛さに攻撃的性格となり、家族ともギクシャクした関係になる中、カーク・ダグラスの依頼による「スパルタカス」、オットー・プレミンジャーの依頼である「栄光への脱出」で遂に自分の本名がクレジットされる日がやってきた。10年の苦節の末、トランボは復活したのだった!
自己の信念を曲げず、赤狩りの嵐の中を泳ぎきったトランボの精神的戦いを描いたこの作品は、トランボと家族との愛を中心に据えての家族愛の物語ともなっているので、テーマは強烈だが、重い内容とならずに家族のために獅子奮迅の活躍をするトランボの知的ユーモアをも感じさせる内容となっているのだ!
ぼくのチケット代は、2,300円出してもいい作品となっていました。
星印は、4つさしあげます。

5点満点中4点 2300円

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